韓国旅行(ソウル)について 

           1999年12月3日 〜5日

 

               旅行者  佐野修平  日向 朗 小田切信哉 

1999年甲府土木事務所の親睦会で旅行のアンケートを採ったところ韓国旅行をやりたい人間が4名いた。中村次長、佐野検査官、日向さん、そして小田切であった。

10月初旬に都市整備課の大久保課長から韓国旅行のパンフレットを貰った。その内容は29,800円で2泊3日の韓国旅行であった。

早速みんなに相談して11月下旬第一希望、12月上旬第2希望で申し込んだ。

返事は第2希望の12月上旬が空いているとのことで12月2日〜4日の旅行となった。

中村次長が12月5日に息子さんの結婚式と言うことで、旅行に行かれなくなった。

そこで、旅行は3人の旅と言うこととなった。

 小田切信哉  日向 朗  佐野修平  

事前にオプションも申し込んだ。韓定食と踊りのツアーだ。9000円/人は少し高すぎたが、1度経験するのも良いと思い、申し込んだ。

29800+9000+空港利用税(3000)×消費税 =44000円/人を送った。

旅行社は近畿ツーリストだった。

12月2日出発

当日は9時30分までに成田集合であったので、電車では1番の電車でも無理があり車で成田に行くこととなった。

当日高速道路の一斉工事があり、大月〜上野原間が交通止めであった。このため一般道路の混雑が予想され予定より1時間早く出発することとした。

甲府土木朝 3時集合出発。

車は小田切車 フォードフリーダ ワゴン車であった。

土木出発後直ぐにデーリーでサンドイッチとジュースを買った。ポカリを飲みながら運転していった。昭和インターから大月まで高速で、そこから国道20号へ混雑を予想していたが全然混んでいなかった。

スムーズに行ったがさすがに一般道路を25km位は疲れた。

上野原インターからまた高速に乗り、首都高速(レインボーブリッジ)を経て湾岸道路にここから東関東道を一気に成田まで行った。途中石川パーキングと千葉のパーキングに寄った。首都高もほとんど混んではいなかった。

成田で下りて最初に道を間違えた。すぐにUターンしてニューUSAパーキングに向かった。ニューUSAパーキングを探す途中でも道に迷った。

ナビが付いていたのだが、ピンポイントで無かった事、新しい道路がナビに無かった事等があり、迷ってしまった。しかし、10分程度の遅れでパーキングを探し出し、入庫した。

現地到着6時半であった。甲府から3時間半である。早朝だったからこの時間でこれたが

やはり4時間半程度見て置いた方が良さそうである。

時間が早かったので車中で仮眠することとした。1時間ほど車中で過ごし、3日分の駐車料金3500円くらいを支払い、7時半頃USAパーキングの車で空港に向かった。出発ゲートが2番であったが、とんと確認せずにいた。日向さんが覚えていてくれたので助かった。

8時頃 空港についたが受付が9時半だったので又、休むこととした、9時頃受付をして貰い、出発ゲートが83番 JAS431便となった。11時半の出発であったのでまず

朝食と言うことで、うどんやさんに入り食事した。3人で2625円 尚、甲府からの車代、高速道路代、韓国内での食費等の費用に21000円/人集めて置いた。

食事を終わり、出国手続きをすることとなった。手荷物検査を受け 出国カードを書き

長い列に並び 出入国審査官にパスポートを提示して免税品の売っている出国ロビーに入ることが出来た。

ここで、ウイスキーのローヤルを買った。2500円であった。

11時半の飛行機の搭乗開始は11時頃からであったので結構長い時間待った。免税店をぶらぶらしたが結構高い物ばかりであった。

11時半の飛行機に乗りエアバスA300であった。

定刻通りに飛行機は動き出した。しかし出発待ちで10分くらいゆっくり動いていた。

飛行機は動き出したら速かった。あっという間に離陸してぐんぐん高度を上げ20分くらいで水平飛行となった。雲がたくさんあり下界は全然見えなかった。国際線であったので機内食が出されおいしく頂いた。ビールも缶ビールを厚かましくも2本頂きちょっと酔ってしまった。

 

       金甫 空港にて

金浦空港に降り立ち入国審査も無事とおり、国内添乗員が待つところでやっと同じツアーの人たちが判った。約40名のツアーであった。

空港から市内に向かった。4時前に景福院に入らないと見学させてくれないとのこと市内の混雑をいらいらしながらバスは進んだ。 3時40分頃カンファン門が見えてきた。景福院の表門だ前回の旅行の時はここに総督府があったのだが、今は何もない、旧宮廷のみが見事な景観でそびえ立っていた。宮殿内の案内をキムさんがしてくれた。以前来たときは妻と2人だけで説明もなく歩いたのでつまらなかったが、今回は良くわかった。

色の鮮やかさ、鳩の糞公害もなくとても良い状態で保存されていた。

その後4時30分頃民俗資料館に入った。資料館を30分で回るのはとてもしんどいが何とか回った。時間をかけて回れば3時間位は使えると思う。3000年くらい前の様子から、昔の民具、絵画、建物の様子そのほかいろいろ勉強になった。

民俗資料館を出て、もうおなかが空いたのでホテルに行くのかなーと思いきや、土産物品店に行った、ホテルの一角にある店だった、高級品、キムチ、お菓子等あったが初日でもあるし、何も購入しなかった。

そしてすぐホテルに帰るかと思ったら、またもや土産品店に行った。キムさん曰くここはブランドのB級品がおいてある、安いですよと。しかし私の財布からはお金は出て行かなかった。やっとホテルに行く時間になった。我々は韓定食を頼んであったので時間が遅れると食べ損なうのではと思い気がきではなかった。パレスホテルについてもなかなかキムさんは夕食に行く気配がなかった、翌日のオプションツアーの注文取りに一生懸命であった。

バスにたったの4人が乗り込み夕食の会場に向かった。韓定食の割烹風のお店だった。お店に入ったのは8時30分くらいだった。韓定食に民族舞踊も付いていたが軽く前菜を食べた後民族舞踊を途中から見てまた、食事という風になってしまった。民族舞踊はすばらしい物だった。ほとんどが若い女子が踊っていた。

写真はいる予定

    写真はいる予定

ファイトあふれる踊りだった。動きが激しく、かなり疲れるんじゃないかと思った。ビールを多少飲んで同伴の埼玉県から来た戸島さんとも友人になり帰路についた。

パレスホテルに戻り、部屋で空港で買ってきたサントリーローヤルを飲んだ。佐野さんは早めに寝てしまった。日向さんと1時過ぎまで翌日の予定やら人生等を語った。つまみは自宅から持ってきた、お好みつまみが役立った。ウイスキーも半分ほど飲んでしまった。

翌日7時頃佐野さん起床、私は疲れて一番遅くまで寝ていた。でも8時頃かな、ゆっくり支度して9時頃ホテルを出た。高速バスターミナルに向かった。山交エクランのような物で、バス発着所であるので、お土産やさんやら、食堂やら、たくさんあった。取りあえず

プサン食堂に入った。女将さんと娘さんで経営していた。読める文字を読んでキムパン、ウドンなどとしゃべって、ウドンを注文したつもりでいた。出てきたのはキムパン海苔巻き寿司だった。おでんも注文した。3人全部で1500円ほどの朝食だった。おなかも満腹になった。さて、そこで南大門市場に行きたいと思い、観光案内所に行きどうしたら行けるかと聞いた。バスが一番と言い、300m位離れているバス停までかわいい女の子が案内してくれた。そして寒いのに10分くらい 31番のバスが来るまで待っていてくれて、バスの運転手に南大門市場で日本人の我々を降ろすように言ってくれた。何とも親切な観光案内所の娘さんであった。南大門市場のバス停は運転手さんがここで降りてねと合図してくれたのでスムーズに降りることができた。降りたところに韓国銀行があった。韓国銀行は私の友人ユンさんの勤めているところだ、記念写真を撮って、南大門市場の中に入っていった。最初に鞄屋さんがあった。手袋やら、ジャンパー、衣類、食べ物、海苔

ものすごくいっぱいであった。上野のアメ横に似た感じでもあったが、こちらの方が3倍くらいすごい感じがした。

特にすごかったのは、豚の頭がたぶんゆでてあったと思うがそのまま売られていた。そんな店が何軒もあった。結構路地裏だった。魚も良く判らない種類の物も売られていた。種とか、豆とか、もうすごかった。沖縄でも豚の頭が売られていたのを見たことがあった。

ころ柿も売られていたジーパンもあった、これが路地にうずたかく積まれていて、雨が降り出したらどうするんだろうと、とても気になった。うづ高く積まれたジーパンの山の中でミシンでさらに製品を作っていた。ほんとに一日中いてもあきない、おもしろいの一言であった。

そしてデパートのようなところもあり、トイレはそのようなところで済ませた。取りあえず市場の状況をつぶさに見て回った、食堂街では11時ころには呼び込みがすごかった。呼び込みを断り、更に路地を回ってきた、その後11時半頃食堂街に来たが今度は呼び込みはあまりなかった。普通の食堂に入りウドンとキムチと、雑炊を頼んだビールを6本くらい、ジンロを1本(佐野さん)かなり飲んだが一人1200円くらいだった。隣で食べていた日本のおじさんに焼き肉を一切れいただいた。彼らも食べきれないようだった。食堂での記念に隣に座った、韓国の若い女性写真に収めた。

1時間半ほどのゆっくりとした食事が終わり個別に買い物をすることとした。1時間後にあうこととして別れた。日向さんと私とで鞄屋さんに行った。韓国ブランドのPRADAに似た鞄を数個買った。それらを入れる大きい鞄も買った。これが実に都合が良かった。たったの1500円ほどであった。佐野さんと示し合わせた場所で会い、今度はソウル駅に歩いて向かった。途中地下道で帽子を買った。地下道でもやたらと屋台のようなお店が出ている。取り締まりが無いのが不思議に思えた。日本には露店など滅多にお目にかかれない、あったとしても外国人がやってる。

東京とほとんど変わらないほどに広い地下道の中のソウル駅の横を通り過ぎ地下鉄ソウル駅に着いた。運賃は全線500ウォンだ、日本円50円くらい。バスも全線50円くらいだったからとっても交通費が安い。地下鉄で高速バスターミナルに着いた。ホテルから15分くらいの距離だ。夕方4時くらいになっていたのでここで焼き肉を食べることとした。

お客さんが食べているのを見てあれこれ注文した。日向さんと私はビール、佐野さんはジンロを飲んだ。やはりかなり飲み食いした。焼き肉は3人前だったが食べきれないほどだった。1時間半ほど飲み食いした。ここのコンビニエンスでつまみをたくさん買った。水も買った。お土産の海苔も買った。岩海苔ごま油焼きは とてもおいしくて好評だった。

食事の後タクシーを拾ってホテルに向かった。ホテルまで、300円だった。結構荷物が多かったので助かった。

ホテルでは、順番に風呂に入り、日本の衛星放送を見てまた、ウイスキーを日向さんと飲んだ。

ホテルは徳1級ホテルだった、29800円の旅行だったが、宿泊予定の1級ホテルがストライキで泊まれなかったため、1ランク上のホテルに泊まれた。ラッキーであった。

29800円であったが実質食事代、甲府からの運賃高速代等を含めて55000円程度であった。

12月4日は 10時ロビー集合であったので、部屋でゆっくりして、朝食はホテルのカフェーで取った。ビールも飲んだがここのビールの高さには驚いた、小瓶で700円もした。日本ではまあ、普通か…韓国でも結婚式をホテルで行うようであり、結婚披露宴受付相談所が一角にあった。

ゆっくり食事してロビーでくつろいだあとホテルの前で記念写真を撮り、2泊したパレスホテル前でバスに乗った。

帰り道もまた、添乗員さんのために、土産ショップに行った。竹塩石鹸が無料で配られた。

これは頂物、ラッキーであった。土産やさんはジュース、コーヒーなど無料で置いてあった。

最後の土産やさんと思い、お菓子をかった。空港に向かう途中また、キムチショップに寄った。もうたくさんだった、土産やさん漬けであった。キムチやさんに30分ほどいて空港に入った。空港は出発まで2時間ほどあった。手続きは簡単に済んだ。免税ショップもあったが、もう、買う物はあまりなかった、3人ともたばこは買わなかった。お酒も買わなかった。佐野さんが、孫さんにおもちゃを買った。

昼食と言うことで、2階のレストランに行ってウドンを食べた。もちろんビールを飲みながら…

飛行機は帰りもJASだった。キムさんが飛行機の中に入ったら適当に席を譲り合って同伴の人のそばになるようにして下さいと言ったが、我々は何とか通路を挟みながらも横に3人で並べた。私の隣はスチワーデスの席だった。一番かわいい子だった。

帰りの機内食もビールをいただいた。

定刻に成田に着いた。17時40分だった。荷物の受け取り、税関を済ませ、USAパーキングに電話して迎えに来てもらった。7時ころUSAパーキングを出て山梨に向かった。帰りはレインボーブリッジから三宅坂あたりまで混んでいたが、その他はスムーズに走れた。談合坂で最後の食事をして10時20分くらいに甲府土木に着いた。ここで3人の車に別れた。楽しい2泊3日の韓国旅行が終了した。

掛かった費用は 一人あたり 60730円であった。

以上 報告します。             2000年2月3日 小田切 記す。